実質賃金上昇に向けて総合的な政策を

2024年02月16日


沖本 竜義
慶應義塾大学経済学部

2024年2月6日に毎月勤労統計調査2023年分結果速報が公表された。毎月勤労統計調査は、雇用、給与及び労働時間の毎月の変動を明らかにすることを目的とした厚生労働省の調査である。毎年2月は、前年の年間結果も公表されるため、特に注目度の高いものとなっている。本コラムでは、毎月勤労統計調査の2023年の年間結果を紹介し、実質賃金上昇に向けた政策について議論する。

名目賃金は上昇、一方でパートタイム労働者比率の上昇が下押し圧力となる

賃金は労働者所得の源泉であり、家計の消費などにも大きな影響を与えるため、経済を見るうえで大変重要な指標である。過去数年に渡る日本の賃金の動きを概観するために、図1は毎月勤労統計調査2023年分結果速報から労働者全体の現金給与総額でみた賃金上昇率の推移を図示したものである。図からわかるように、名目賃金は2022年対比1.2%増となり、2022年の2.0%増には及ばないものの、2年連続1%以上の上昇となっている。2022年は新型コロナウイルス流行下での落ち込みの反動で大きく上昇した部分もあったことも考慮すると、名目賃金上昇のトレンドが継続しているといえる。

図1:賃金の動き 労働者全体

1-1図 賃金の動き 労働者全体

出典(厚生労働省)毎月勤労統計調査 令和5年分結果速報:https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/ r05/23cp/dl/pdf23cp.pdf
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就業形態による賃金の動きの違いを調べるために、同調査から一般労働者とパートタイム労働者の所定内給与の賃金上昇率を図示したのが図2である。2021年と2022年に関しては、就業形態別の賃金上昇率に大きな違いは見られなかったが、2023年はパートタイム労働者の賃金上昇率が3.0%増と一般労働者の1.8%増と比較して、大きなものとなっている。人手不足を背景に企業がパートタイム労働者の雇用を増やし、パートタイム労働者の需要が高まったことがパートタイム労働者の時間あたり給与の向上につながったと推測される。

図2:賃金の動き 労働者全体

1-2図 賃金の動き 一般労働者とパートタイム労働者

出典(厚生労働省)毎月勤労統計調査 令和5年分結果速報:https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/ r05/23cp/dl/pdf23cp.pdf
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図2から、所定内給与は就業形態に関わらず、比較的大きな延びを見せていることがわかる。しかし、それが必ずしも労働者全体の現金給与所得の上昇にはつながらないことには注意が必要である。実際、図1で見たように、2023年の労働者全体の現金給与所得の賃金上昇率は1.2%増と、いずれの就業形態の所定内給与賃金上昇率よりも低くなっている。この理由を明確にするために、同調査から現金給与総額の名目賃金上昇率の要因分解を図示したのが図3である。図からわかるように、現金給与総額の上昇の大半は一般労働者の現金給与総額の上昇で説明されることがわかる。それに対して、パートタイム労働者の現金給与総額の上昇の寄与はかなり小さくなっており、これはパートタイム労働者の現金給与総額が一般労働者と比較して小さなものであるため、上昇率が大きいとしても、全体に占める寄与が小さくなるからである。より重要なこととしては、パートタイム労働者比率の上昇が、現金給与総額の低下に大きく寄与していることがある。実際に、毎月勤労統計調査2023年分結果のデータを見てみると、2023年の労働者比率は、一般労働者の2022年対比1.0%増に対し、パートタイム労働者は2022年対比3.9%増となっており、企業がより賃金の安いパートタイム労働者を増やすことによって、賃金支払いの負担抑制を図っている姿が浮き彫りとなる。

図3:名目賃金(現金給与総額)の前年比の要因分解

1-3図 名目賃金(現金給与総額)の前年比の要因分解

出典(厚生労働省)毎月勤労統計調査 令和5年分結果速報:https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/ r05/23cp/dl/pdf23cp.pdf
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実質賃金は低下、物価上昇が大きな要因

名目賃金が上昇する一方で、実感がわかない人も多いのではないだろうか。その理由の1つとして、前回のコラム(「金融緩和政策縮小の最大の障壁は日本の政府債務の持続可能性か」)でも述べたように物価の上昇があり、それに賃金の上昇が追いついていないことがあげられる。それを確認するために、図1の実質賃金の上昇率を確認してみると、名目賃金とは対照的に、実質賃金は2022年対比2.5%減と、2年連続の減少となっており、その減少幅も2022年の1.0%減から大きく上昇している。したがって、消費者にとってより重要な実質賃金は低下傾向にあり、これが個人消費低迷の主因ともいえる。

実質賃金低下の要因をより詳細に確認するために、毎月勤労統計調査2023年分結果速報から現金給与総額の実質賃金上昇率の要因分解を図示したのが図4である。上で確認したように、一般労働者とパートの賃金上昇が1.8%程度の上昇要因となっているものの、パートタイム労働者比率の上昇が0.6%程度の低下要因となっている。それに加えて、消費者物価の上昇が3.7%程度と著しい低下要因となっており、実質賃金を大きく押し下げていることが確認できる。

図4:実質賃金(現金給与総額)の前年比の要因分解

1-4図 実質賃金(現金給与総額)の前年比の要因分解

出典(厚生労働省)毎月勤労統計調査 令和5年分結果速報:https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/ r05/23cp/dl/pdf23cp.pdf
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実質賃金の上昇には幅広い政策が必要

以上で見たように、実質賃金の低下は、現在、日本が抱える1つの大きな課題となっている。容易ではないだろうが、企業がさらに賃金を上げることによって、それを克服することができれば、一番である。この意味で、今年の春闘は大きな節目となると注目している。そして、同時に、それを後押しする政策がますます重要となってきている。

それでは、実質賃金の上昇には、どのような政策が必要なのであろうか?まずは、物価の抑制である。日銀は2%のインフレ目標を導入しており、2%程度のインフレは望ましいと考えられている。しかし、直近1年半は、インフレは3%を超える水準で高止まりしている。前回のコラム(「金融緩和政策縮小の最大の障壁は日本の政府債務の持続可能性か」)で述べたように、日銀が金融緩和を縮小するには様々な困難が伴うが、このままインフレを放置するのもリスクであろう。物価の抑制を通じて、実質賃金の向上を図るべきである。より重要なこととしては、日銀は1999年にゼロ金利政策を開始して以降、ほとんどの時期で、超低金利政策を実施している。言い換えれば、企業や政府は、2000年以降、ぬるま湯に浸かり続けている状態が続いている。その結果、淘汰されるべき企業が生き残り、政府のメリハリのない政策運営にも繋がっている。物価が高止まりしている今、日銀は覚悟を決めて、マイナス金利に加えてゼロ金利を解除し、金利のある世界の復活をさせるべきであろう。一時的には、それは痛みを伴うかもしれないが、日本社会に適正な競争を生み出し、活性化させていくはずである。そうすれば、実質賃金の上昇は自然な帰結となるであろう。

また、上で見たように、実質賃金の低下のもう一つの要因として、パートタイム労働者比率の上昇というものがあった。これに関しては2つの対応策が考えられる。まず、1つめは正規雇用を増やすことである。パートタイム労働者の7割程度が女性であり、これは、日本で女性活躍が遅れていることも一因であろう。以前のコラム(「日本の女性活躍には中間管理職からの底上げが必須」)でも述べたが、女性活躍のためには企業が女性人材の育成に力を入れることが重要であり、それを積極的に後押ししていく政策が期待される。もう1つの対策としては、パートタイム労働者の収入を上げることである。パートタイム労働者比率の上昇が実質賃金を低下させる要因は、パートタイム労働者の賃金が低いことであり、その原因の1つとして、パートタイム労働者の労働時間の抑制がある。パートタイム労働者には、106万円の壁や130万円の壁のように、年収の壁と言われるものが存在する。この背景には、給与所得がその金額を超えた場合に、社会保険料や税金の負担が増え、手取り収入が下がったり、雇用主の負担が増えたりすることがある。その結果、パートタイム労働者や雇用主が、労働時間を抑制することが問題となっている。これに対して、政府は2023年10月から「年収の壁・支援強化パッケージ」を開始し、年収の壁を意識せずに働ける環境の実現に向けた政策を開始している。この政策は2年間の時限的政策であるが、この間に、税制の見直しなど年収の壁に対する抜本的な改革が行われることが期待される。